猫の最期と私の今
うちの猫が死んだ。
うちの隣で家を建てる工事が始まった。
それと同時に、うちの塗装工事も始まった。
アパートの棟の壁全てを塗るため、うちだけ拒否はできない。
高圧洗浄もするのでシャッターを閉めたほうが汚れが窓につかなくていいですよ、とお知らせには書いてあった。
塗装工事が始まって数日。
私は死にそうだった。
こんなにもにおいが強いとは思ってもいなかったから。
強烈なにおい。
窓を開けて換気したくても、窓を開けると家を建てる工事の音が大きくなり耐えられない。
においと音のダブルパンチだった。
塗装工事が終わるころ、猫がごはんを食べなくなった。
痩せて、痩せて、押し入れの奥から出てこなくなった。
獣医さんからは工事のストレスではないかと言われた。
しばらく経って、猫がどす黒いものを吐いた。
血のにおいがした。
獣医さんは、検査の結果は問題がない。何かストレスがあったか、と聞いてきた。
ふたつの工事があったこと、においがきつかったことを答えた。
あぁ、人間でもアレはきついからねぇ……。と言われた。
水も食べ物もとらなくなり、痩せ、たまに吐く猫。
親が家を空けるため、数日の間動物病院に入院した。
お見舞いに行くと、点滴で水分を補う猫の姿があった。
おねえにゃんだよ、と声をかけた。
泣かずに声をかけられたのは、この一言目だけだった。
退院の日。
保温のために獣医さんがペット用ホットカーペットを貸してくれた。
猫の吐く頻度はどんどん増えていた。
苦しいのか、吐くときに叫ぶようになった。
苦しいね、苦しいね、痛いね、やだね、と言いながら猫の体をさすることしかできない自分が嫌だった。
清潔な指に水をつけて口元に持っていっても、ガーゼに水を含ませてなんとか水分を与えようとしても、猫は受け付けなくなった。
どす黒い嘔吐物が顔についてかわいい顔が台無しだから、蒸しタオルで何度も拭いた。
好きな場所に行こうね、と言って、いつもは入ると怒る押し入れ、いつも猫がズサーと滑り込むベッドの下、猫がほぼ毎日来る私の布団、それらの入り口を少し広くした。
そっと、静かに、行きたいところに楽に行けるようにしたかった。
夜眠るときはいつも通りあいさつをした。
おねえにゃん寝るにゃーよ、おやすみ〜
忘れて寝落ち、なんてことがないように神経を尖らせていた。
猫の嘔吐物は、カーテンや私のジャケット、いろいろなところについた。
しゃばしゃばした液体だったから、苦しんで顔を振ったりペットシーツを出すのが間に合わなかったときについてしまった。
洗濯しないと不衛生だとわかっていたけれど、洗濯したら後悔する気がしてそのままにしてしまった。
数日経った朝。6時過ぎだった。
親が「みてあげて」と涙声で私を呼んだ。
起きていたので猫のところに行った。
一目見て、もうだめだと思った。
息はしているけれど、目が光に反応していない。
猫のいる場所には光が差し込んでいるのに、瞳孔が開いてしまっている状態。
瞳が真っ黒なのだ。
猫の体を膝にのせて、力の入らなくなった頭は腕にのせて、まだ、まだかろうじて私が見えていると信じたい目を覗き込んで、名前を呼んだ。
おはよう、お外晴れてるよー、抱っこしようねえ、キナちゃん抱っこ好きだもんねえ、ねえ
途中から涙が止まらなくなって、猫の体に涙が何粒も染み込んでいった。
あたたかくて、心臓が動いていて、息をしていた。
すると、不意に猫が叫んだ。
吐く前にも叫ぶようになっていたため、咄嗟に近くにあったブランケットを引っ張って膝に敷いた。
猫はどす黒い液体を吐いた後、過去に聞いたことのない大きな声で叫んだ。
いつも穏やかで怒ったことのない猫から聞く、最初で最後の大きな声だった。
何かを威嚇するような、怒ったような、嫌な気持ちを表すような、そんな声。
苦しいのか痛いのか、それとも生理現象なのか、体がのけぞったり力が入って硬直したりしている。
寝たまま吐いたため、息ができなくなることを考えて抱っこをし直した。
心臓の拍動が吐く前よりも弱い。
ゴミ出しから帰ってきた親に、もうだめみたい、と伝えた。
キナちゃん帰ってきて、まだ4年でしょ、早すぎるよ、キナちゃん、と、ボロボロ泣きながら親が猫の体をさすっていた。
人間に最後まで残される感覚は聴覚だと聞いたことがある。
猫ももしかしたらそうではないか。
ならば今、気持ちを伝えよう。
孤りで淋しい気持ちのまま眠ってほしくはなかったのだ。
涙をこらえつつ、痩せてしまった体を撫でながら声をかけた。
キナちゃんかわいいね、キナちゃんかっこいいなー、キナちゃん好きだよ、キナちゃんのこのお手手好きだなー、いいお手手だなー、キナちゃん愛してるよ、おねえちゃんはずっとキナのこと好きだよ、もうすぐ楽になるからね、キナちゃんありがとね、大好きだよ、ママも大好きだよ、キナちゃん、キナちゃん、大好きだからね、ずっと一緒だよ、うちに来てくれてありがとね、
猫がふっと息を吐いて、呼吸がゆっくりと止まった。
呼吸が止まって鼓動が止まっても、大好きだよと声をかけ続けた。
5分くらいして、親と顔を見合わせて、いっちゃったね、と話した。
猫にはもう聞こえないはずから大丈夫だと、2人で思いきり泣いた。
9時になって、動物病院にホットカーペットを返しに行った。
明言はしていないけれど、言葉に詰まった親を見て獣医さんが事態を察し、驚いていた。
回復を信じてくれていた。
16時。
葬儀場で飼われているラブラドールレトリバーに初対面でタックルされて後ろに転び、驚きで泣きそうになった。杖が吹っ飛んだ。
なぜか私のところに来てズボンの裾を引っ張るのでそちらに注意してしまい悲しんでいられなくて、悲しいんだけど犬がおもちゃを咥えてはこっちを見るから遊ばないわけにもいかず、何回もタックルされていつタックルが来るかと警戒したおかげで、葬儀では泣かなかった。
悲しんでいる私に、猫がやんちゃな犬を派遣してくれたように思えた。
翌日の朝。
うちに花が届いた。獣医さんからだった。
きれいだねぇと話しかけたかった存在はいない。骨壷の前で、もらったよと報告をした。
悲しみは薄れない。
いなくなった事実が体に馴染んでいく人もいるのだろうが、私はまだ受け入れられない。
あと少しで、猫がいなくなってからの年数が猫が生きた年数を超える。
それでもつらい。
これを書き終えるまでに、片手では数え切れないほど泣いた。
書いている今も泣いている。
涙を舐めてくれていた猫は、いない。
どこかに生まれ変わりはいないのか、猫を見ると思ってしまう。
この子が生まれ変わりだ!と思ったこともあった。
心を切り替えたかった。
最近は生まれ変わりなどいないと思えている。
世の中の全ての存在が唯一無二であって、今生きている存在に過去に生きていた存在を押しつけてはいけない。
あの子はあの子、この子はこの子。
黒く染まったジャケットとは、数ヶ月前にお別れをした。
今は、時間ができるたび、何度も何度も、生前の動画を見てはかわいいねと口にしている。
思い出して悲しくなるものより、思い出して少しでも微笑むことができるものを使って思い出されたほうが、猫にとって幸せなのではないかな、と思ったから。
キナちゃん、かわいいねえ。大好きだよ。