適度にがんばる生活

闘病生活、好きなもの、良かったものを。

手術から7ヶ月経ちました。

こーんにーちはー!
このお二人の漫才見たことがないんです。
テレビつけないからかな。病室でもテレビ見なかったなあ。

そんなことは置いておいて、
今回は今までと違い、病気について書きます。
経過についてです。

2021年8月ごろ。
持病のいつもの症状ではない、新しい症状が出てきました。
神経内科の主治医に相談したところ、日本に100人の病気(難病指定)の疑いがあるとのことでした。
病気になっている人が少ないため、学会でかすかに聞いたことがある程度の病名。
どんな症状か、遺伝はするのか、どの検査でわかるのか、他の病気ではないのか、調べるから時間を下さいと言われました。
2021年10月。
血液検査は異常なし。他の病気ではないということです。
私の症状は、疑われている難病と一致していました。
主治医から大きい病院へ行くように言われ、紹介状を渡されました。
ここでなぜか、大きい病院に入院するかもなあと感じていたことを覚えています。
大病院へ行く前(多分)に限度額医療費を申請し、いざ出発。
大病院の先生はこう言いました。
「ここでは手に負えない、もっと大きいところでないと」と。
また紹介状をもらいました。
2021年11月。
大病院その2を受診しました。病院に向かう途中で迷子になり、汗がすごかったです。大病院ってどんなところだろう…という不安より、ここどこ?えっ?逆に歩いてる?その建物どこ!?この道どう行くの!?という不安が大きかったです。
大病院その2で紹介状を読みつつ私を診た先生は言いました。
「入院しましょう」
はい私の勘当たり!!!限度額医療費申請しておいてよかった!!
2021年11月。
入院。基本的な検査はしているけれど、何もわからない日々が続いていました。
病気の特定のため、手術をして組織を採取することになりました。
Googleで調べて、先生にも詳しく聞き、大体は負担の少ないやり方だと言われて「こんなんヨユーだぜ」とタカをくくっていたら、まさかの負担の大きい方でした。そっちかい。早よ言わんかい。心の準備があるやろがい!と思っていました。
手術は無事終わったのですが、抜糸したあと傷が開いていました。どおりで痛いわけです。
骨がマットレスに当たって痛かったこと、景色を見たいこと、入院で溜まったストレス、それらが関係して、完全安静が解除されて意識もクリアになった途端、車いすで動き回っていました。病棟を爆走したあとは症状が出現するのですが、それでも爆走していました。
2021年11月
退院。
2022年2月。
大病院その2の先生は言いました。
「特定できませんでした」と。
えぇ〜〜〜〜。
大病院その3に特定が任されました。
2022年3月。
大病院その3から、とある病気の疑いが強いと伝えられました。その病気の検査はしていなかったため、急いで検査をしました。
2022年5月。
検査の結果、病気を特定することはできませんでした。

今も、大病院その3で検査が続いています。


2022年6月。
内服薬で症状は抑えているものの、薬だけでは抑えきれないものもあり、試行錯誤の日々です。
腕を上げ続けることが難しくなり、髪を切りました。
マグカップを持つことがつらくなったため、プラスチックのコップを使うことが増えました。
就寝中に症状が出現し、睡眠を妨げられることもあります。寝ることが好きなのでムカつきます。
手術痕は今でも肥厚性瘢痕もどきが残っていて、かゆみもあり、痛みもあり、歩くだけで痛む日もあります。


ここまで経過を書いていて思ったことは、最初に主治医が「このくらい生理現象だよ」だとか「運動不足だね」で片付けなくてよかった、ということです。
些細な変化でも聞き取って、家族の病歴も細かく更新してくれる、そんな主治医でよかったと思っています。

ちなみに今は車いすのレンタルで悩んでいます。

経過は以上です。
もうすぐ症状出現から1年。
病気が特定されることを願います。